抒情画

松永禎郎さんの絵本1(すみれ島・むらさき花だいこん)

 

松永禎郎さんは、私の最も敬愛する画家のひとりです。

松永さんの絵は、雑誌 月刊「詩とメルヘン」では毎月掲載されていて、いつも「こんな絵が描けたら…」と尊敬と憧れを抱いていました。

心の中に染み込むような詩情が、松永さんの作品にはいつも宿っていました。

 

松永さんは絵本も多数手がけられていて、その中で、戦争をテーマにした作品が幾つかあります。

 

今回、ご紹介したいのは「すみれ島」(偕成社)と「むらさき花だいこん」(新日本出版社)

 

すみれ島 (新編・絵本平和のために)

戦時中、毎日のように特攻隊の飛行機が通っていく小学校の子どもたちが兵隊さんたちに贈った、すみれの花束。

いつしか、特攻隊の通った海の島にはいちめんのすみれが咲き、人びとはその島を「すみれ島」と呼ぶようになりました。

 

むらさき花だいこん

中国大陸で負傷した日本兵が、少女からもらった、むらさき色の花だいこんの花。その種を日本に持ち帰った彼は、種をまき、いつしか花だいこんは平和を願う花になりました。

 

 

いずれも、戦争をテーマとしていますが、「すみれの花」「花だいこんの花」を通して、戦争の哀しさや愚かさを静かに伝える絵本です。

そして、松永禎郎さんの静かで美しい、染み入るような絵が、もう、途中で涙なくしては読めません。(読み聞かせは要注意です)

 

本当は、もっともっと評価されて良い画家だと思います。

そして、もっとたくさんの方々に、松永さんの作品を見ていただきたいと願って止みません。

 

松永さんの絵本は、これからも幾つかご紹介したいと思っています。

 

 

「すみれ島」今西佑行・文 松永禎郎・絵 偕成社 1991年

「むらさき花だいこん」大門高子・文 松永禎郎・絵 新日本出版社 1990年

 

松永禎郎さんの絵本2(かさじぞう・しろふくろうのまんと)

イラストレーションで描いた春夏秋冬の空の色

春夏秋冬、それぞれの空の特徴を描くことは、それほど難しいことではありません。

まずは、春の空。

「はるいろ」

「はるいろ」

このように、天頂の辺りにすこし紫がかった青を使うと、春らしくなります。

そして、遠くの景色は、ぼんやりと霞がかかったように描きます。

 

 

 

夏の空は、緑がかっているというか、ターコイズブルーをコバルトブルーに混ぜてグラデーション。そして、入道雲。

「夏の思い出」

「夏の思い出」

景色のなかの緑も濃く。

 

 

 

秋は一年で最も「薄い」水色の空。

「故郷の空」

「故郷の空」

 

高く、澄んだ空の色をいつも模索しています。

鱗雲や巻雲など、秋ならではの雲の形にも注目して描くのが楽しい季節です。

 

 

 

 

冬の青空は、一番深く、濃い、「宇宙の青」を感じます。

「雪の朝」

「雪の朝」

 

最も空気の綺麗な季節でもありますので、青の奥底に「黒」が潜んでいるような、そんな色を感じます。

天頂あたりにはウルトラマリンブルーとコバルトブルーを使い、色の深さを表現したいと願いながら描きます。

 

 

※こちらで紹介した作品は、すべてターナーのアクリルガッシュを使用しています。

 

 

今回は、春夏秋冬の「青空」に注目して、私のイラストレーションを参考に見ていただきました。

 

客観的に見て、自分がちゃんと描き分けられているのかどうかは、皆様の評価に委ねなければなりませんが、一番大切なのは、

「これは、春の空なんだ!」

という、自分自身の納得、そういったものではないかと。

 

他人を納得させる前には、まず自分ですね。

 

 

「春夏秋冬それぞれの空の色」

「春の空を描く」

「夏空と入道雲の描き方」

 

空をモチーフにしたオリジナル傘出来ました。
くわしくはこちらをご覧ください。

抒情(リリシズム)とは?

「抒情」という言葉に、どんなイメージを持たれるでしょうか?

私は「抒情的」と世間一般で言われる絵画やイラスト、さらに音楽が幼い時からずっと好きだったように思います。

朧月夜

これは、小さい時に母が雑誌「詩とメルヘン」や「いちごえほん」を
購読し、童謡のレコードや父の弾くクラシックギターの童謡に親しんで
いたことが大きいと考えられます(こんな風に書くと、いいところで育
った人と思われそうですが、ずっと団地の子でした)が、

そもそも「抒情」って何だろう?
と、改めて調べてみると、

〈抒情〉
現実の生の喜怒哀楽が昇華した形で表出される高度に芸術的な感動の性質(ブリタニカ国際大百科事典小項目事典より要約)

う~ん。
分かったような、よく分からないような…

では、私自身の言葉で「抒情」とは?
と、考えてみると、

『懐かしいような、哀しいような、寂しいような気持ちとともに、美しい、
可愛い、満たされた気持ちにもなる感情、あるいは感傷』

と言えるのではないか、と。

この感覚は前出の雑誌「詩とメルヘン」に由来するのでは?と思います。
この雑誌の編集長だった、あの有名な「アンパンマン」の作者でもある
やなせたかし先生は、雑誌が創刊された1973年当時に、「このままでは
日本の抒情の灯が消えてしまう」と危機感を持たれ、抒情画と抒情詩の
担い手を育てるこの雑誌を創刊されました。

当時、創刊されたばかりのこの雑誌や、子ども向けに後から創刊された
「いちごえほん」を眺めては、幼い私は漠然と「大きくなったら、こんな
絵を描ける大人になりたいなぁ」と思っていたものです。

今、その願いは、半分叶って半分叶っていないといえますが…
(これについてはまた別に書こうと思います)

その抒情の灯は、今現在、本当に風前の灯なのではないかと私は心配で
なりません。

そして、今のうちに抒情、とりわけ自分自身が描いてきた、これからも描い
ていきたいと願っている『抒情画=Lyricism Art』について、じっくりと
再考し、どうすればその灯を明るく灯せるのか、今はそのことを考えています。

 

 

※上記のイラストレーション「朧月夜」をはじめとした、リリシズムアート(抒情画)の世界が3種類の空色の傘になり、発売されました。

朧月夜

 

詳しくはこちらをご覧ください。

 

里山の風景

里山の風景

私が最もよく描くのが、いわゆる“里山”の風景です。

赤とんぼ

「里山」は人が作り上げた自然と人が最も美しく共存している場所
として、写真家の今森光彦さんが有名にされた言葉でもあります。

私が育った場所も、年々減ってきているとはいえ、里山の風景が残
っており、少し足をのばして散歩に出れば、季節ごとの花や作物、
鳥などの自然が身近に感じられます。

20年くらい前までは、藁ぶき屋根の家もまだあったので、風景の中
によく描き入れていましたが、最近はほとんど無くなってしまい、
さすがに描くことは少なくなってしまいました。

と、いうのも、私は自分の描く景色が「過去の風景」となるのには
抵抗があって、あくまで「今」であってほしいという願望が心の中
にあるからです。

懐かしい = 過去 ではない

懐かしいと思う気持ちは、あくまで「今」の自分のもので、
その気持ちを引き出す作品を描きたいと、私は思っています。

時間ごと、季節ごとに移ろいゆく里山の風景は、横に長い作品に絶
好の主題でもあります。

私は過去、何度か横に繋がっている手作り絵本やカレンダーを作り
ました。

大体、
いつも描きながら、風景を考えていくのですが、その都度違う景色
になるので、とても面白いです。

ちなみに、私の描く山は低くなだらかな山が多いですが、これは自
分の育った場所の山が反映されるらしいです。

信州に行ったとき、圧倒的にダイナミックな山々と、広い空に圧倒
されました。

そういう、日本全国の里山の風景を描きたいです。